アンビの実験室

継続することがとことん苦手な人間がなんでもいいので毎日書くことを目的とした人間観察バラエティ,屁理屈

レッテルとエヌヌメ星人

よく本を読む方なんだけど

昔と違って、最近はエッセイもよく読むようになった。

 

なんで読むようになったかはわからないけれど

なんとなく、

自分が憧れている人とかがエッセイを出版した年齢と

自分の年齢が近くなったから、自分くらいの時に何を考えてて

何を考えていなかったのかが知りたいのかもしれない。

 

読みたいエッセイを選ぶ時には当たり前だけど

内容よりも書いている人を選ぶ。

書いている人をある程度知った上で読むので

まあ興味はあるし、内容も入ってきやすい

 

一方で

小説とかを選ぶ時には

まあ作家さんで選ぶ人も多いとは思うけど

普段そこまで本を読む習慣がない多くの人は

タイトルやあらすじ、口コミで選ぶと思う。

 

ここで、試しに名前しか聞いたことのない人のエッセイを読んでみた

すると、全然面白くなかった。

面白くなかったというのは語弊で、内容が全然入ってこなかった。

 

ここで思ったことというのは

エッセイを読む上で理解をしやすくするには、

エッセイを書いた人間をある程度知っていることだ。

 

100年前に解明されていたような

自明の理とは思うけど、あえて、あえて、口にしてみる。

 

では、なんでエッセイを理解しやすくするのに

その人を知っている必要があるのだろうかと考えた。

 

ぐーっと考えてはみたものの

これといった論拠は思いつかなかった。

 

まあでも、強いて言うなら

人間が好きになる人間というのは多くの場合

似た性質を持っている人なのだからかもしれない、

 

似ている性質を持っている人間の書く言葉だからこそ

境遇や感覚への共感が起きやすい、だからまあ理解はしやすい。

正直自分はヒトラーのエッセイを読んだとしても、

勉強にはなるなと思うけど、共感とかは特にしなさそう。

 

エッセイを読んで強く思うのは

やはり、個人の意見や感情を書いているものをちゃんと理解するには

言葉を発している個人を知っていることが必要だということでした。

 

裏を返すと、よく知らない人の意見や感情というものは理解が難しい

理解をするにはけっこう手間ヒマがかかる。ということかなあ。

 

その手間ヒマをかけずに意見や感情を理解しようとすると

社会的に貼られているレッテル(職業,地位,ジェンダー等)に

頼らざるを得ない気持ちもすごくわかる…!

 

ところで、私は公表をしていなかったのですが

 

第5銀河、第98 水太陽系 第48惑星の「浪々星」という星に住んでいるものなのですが

最近同居しているエヌヌメ星人が料理をしてくれなくて、いつも喧嘩ばかりです。

これって私が悪いでしょうか?みなさんどう思われますか?

 

例えばこんな相談があったとしたら

どうやって相談にのってあげるのだろうか?

 

同居しているエヌヌメ星人に対して怒るでしょうか?

それともこんな相談をしている相談者に怒るでしょうか?

 

社会的に貼られているわかりやすいレッテルというものがなくなった時

 →まあ失くなることは現実的ではないことを承知した上で。

 

自分たちはエヌヌメ星人たちにどんなアドバイスをするのだろうか?