アンビの実験室

継続することがとことん苦手な人間がなんでもいいので毎日書くことを目的とした人間観察バラエティ,屁理屈

ネタバレ範囲はいったいどこまで?

 

f:id:ano-amby:20200603182744p:plain

最近面白かった

昨日の日記の適当さ加減が本当にやばい。

自分で読んで自分でかなり引きました。

 

そろそろ真面目に何かを考えようと思います。

だけど、最近ふれたエンタメ作品にいわゆる「どんでん返し系」が多くて

物語の核心にふれることなく、ネタバレなしにどう話せばいいのか分からなかったのです。

 

作品の名前を出すだけでも

あ、この話って最後どんでんするんだ。と思ったら

それもネタバレになるのではないか?という懸念があります。

 

まあ、誰が読んでいるわけでもないとは思うけど

ひょんな事でネタバレを食らわせてしまうような地雷を

この広大なインターネット世界とはいえ、仕掛けておきたくない。

知らないところで誰かが踏んでいるかもしれないと思うと

気が気じゃないからです。

 

という前置きはしつつも。

もはやインターネットに接続しながらネタバレを

回避するというのは不可能ではないかとも思います。

 

SNSにて、直接的な表現はないにしても

別々の人が

 

Aさん「あの人が死んじゃうとは思わなかった・・」

Bさん「◯◯(人名)ーー泣」

 

と投稿していた場合、

どんなに察しが良くない僕でも

誰が物語で犠牲になってしまうのかがわかってしまう。

 

SNS,ネットの集合知によって

明白な答えが綺麗に形取られてしまっている状態はままあります。

 

僕は会社の上司によくネタバレをされていて、

それに対してよく抗議をしていたのですが

 

いわく、

 「公開当日に見なかったやつが悪い」

という事だそうです。

 

これは理不尽に聞こえるかもしれませんが

合理的だし、真理です。

 

公開当日に見なかったような作品は

そこまで思い入れがないはずなので、

ネタばらしする側の熱量の犠牲になってもしかたがない。

そう考えると、ああ、確かにな。と納得してしまうものです。

 

ただ、もちろん。これはいつも思う事ですが

合理的、正しい。というのは人によって観点は様々です。

相対する人によっては、正しいことが必ずしも良い結果を

生むとはかぎらないと思っています。

 

たとえ10万RTされている情報,仮説だって

日本人のTwitterユーザは約4000万人とされている中では

非常に少数派です。そもそも日本人1億2000万人中の10万です。

影響力が一見ありそうな正義を、万人に当てはめるのはよくないです。

あんまりモテないかもしれません。

 

結論何が言いたいかというと

・ネタバレにおいて公開当日に見なかったやつが悪い というのは正しそう

・でも正しいことが常に正解とは限らない

 

という話でした。