ネタバレ範囲はいったいどこまで?
昨日の日記の適当さ加減が本当にやばい。
自分で読んで自分でかなり引きました。
そろそろ真面目に何かを考えようと思います。
だけど、最近ふれたエンタメ作品にいわゆる「どんでん返し系」が多くて
物語の核心にふれることなく、ネタバレなしにどう話せばいいのか分からなかったのです。
作品の名前を出すだけでも
あ、この話って最後どんでんするんだ。と思ったら
それもネタバレになるのではないか?という懸念があります。
まあ、誰が読んでいるわけでもないとは思うけど
ひょんな事でネタバレを食らわせてしまうような地雷を
この広大なインターネット世界とはいえ、仕掛けておきたくない。
知らないところで誰かが踏んでいるかもしれないと思うと
気が気じゃないからです。
という前置きはしつつも。
もはやインターネットに接続しながらネタバレを
回避するというのは不可能ではないかとも思います。
SNSにて、直接的な表現はないにしても
別々の人が
Aさん「あの人が死んじゃうとは思わなかった・・」
Bさん「◯◯(人名)ーー泣」
と投稿していた場合、
どんなに察しが良くない僕でも
誰が物語で犠牲になってしまうのかがわかってしまう。
明白な答えが綺麗に形取られてしまっている状態はままあります。
僕は会社の上司によくネタバレをされていて、
それに対してよく抗議をしていたのですが
いわく、
「公開当日に見なかったやつが悪い」
という事だそうです。
これは理不尽に聞こえるかもしれませんが
合理的だし、真理です。
公開当日に見なかったような作品は
そこまで思い入れがないはずなので、
ネタばらしする側の熱量の犠牲になってもしかたがない。
そう考えると、ああ、確かにな。と納得してしまうものです。
ただ、もちろん。これはいつも思う事ですが
合理的、正しい。というのは人によって観点は様々です。
相対する人によっては、正しいことが必ずしも良い結果を
生むとはかぎらないと思っています。
たとえ10万RTされている情報,仮説だって
日本人のTwitterユーザは約4000万人とされている中では
非常に少数派です。そもそも日本人1億2000万人中の10万です。
影響力が一見ありそうな正義を、万人に当てはめるのはよくないです。
あんまりモテないかもしれません。
結論何が言いたいかというと
・ネタバレにおいて公開当日に見なかったやつが悪い というのは正しそう
・でも正しいことが常に正解とは限らない
という話でした。