SNS誹謗/中傷 問題について
ネット上、SNS上での陰口でたくさんの人が嫌な思いをする。
嫌な思いをするだけで済めば良いのかもしれないが、時には命も落とす。
特に有名な人がこういった誹謗中傷で亡くなったらしい。という情報は一気に拡散され、
私たちの間で話題になり、しばしば問題提起がなされる。
問題提起というかこの話題に関しての意見は大きくこんな感じだ。
1.怒りを露わにする人。
「誹謗中傷」をしている人間に対して批判を浴びせ、
時には個人情報などを特定する動きも見られる。そんな人。
2.誹謗中傷を批判する人を批判する人
「誹謗中傷」をしていた人間を非難して私刑を行う人間は
結局「誹謗中傷」を行った当人のやっていた事になんらかわりない。
のでやめたほうがいい。というスタンスを取る人。
3.そもそも論の人
そもそもSNS上では発言が自由なので、見たくないものは無視したり
SNS自体をやめる事は解決策になると言っている人。
ざっくりで申し訳ないけど、大きく分けるとこんな分け方ができると思う。
いま特に言及したいのが,芸能人など自分の社会的な立場が一定ある人は
2.誹謗中傷を批判する人を批判する人
スタンスを取っているほうが多い。
2.の意見をとりつつ、SNSの仕組みを改善する
対策を打つ事によって誹謗中傷をなくしていくという主張だ。
ここで思った事がある。
>SNSの仕組みを改善する
>対策を打つ事によって誹謗中傷をなくしていくという主張だ。
これたぶん結構前から言われているけど何か進展あった…?
2chが隆盛の時代、匿名性について議論されている時期からずっとこの意見はでているけど
特に状況は何も変わっていないと思う。
例えば本名で登録することになっているFacebookはもう化石である。
Twitterとかだって結局慈善事業ではなくって、ビジネスなのだから
人間の倫理,道徳的に正しいかは大切かもしれないがそれを重んじることで
ビジネスが成り立たなくなる。という構図ってありえるのだろうか…?
Twitterを本名,個人情報登録制にした場合、どれだけ登録者は減るのだろうか?
その登録者が減ることによって減少する広告収入などはどうやって補うのだろうか…?
Twitterは政府が行っている事業ではなく、税金で成り立っているわけではない。
だから、何でもかんでも運営が浄化してくれると叶わない願いを想い続けているほうがかえって危険ではないだろうか。
だから2.誹謗中傷を批判する人を批判する人が悪いとは言わないが
このスタンスをとってたっていつまでも状況は変わらないと思う。
状況が変わるとしても中傷の犠牲でできた死屍累々の上でだ。
もうこのご時世、そんな悠長なことを言ってられないのも薄々気づいてはいると思います。
だから批判されるかもしれないけど、賛否は生むかもしれないけど状況が変わるかもしれない可能性が一番大きい1.怒りを露わにする。という選択肢は一見感情的なようでいて、一番理にかなっている行動なのではないだろうか…?
冷静な人は頭の良さそうな状況を特に変えることのない理論武装をする。
だけど、冷静な人=正しい考えを持っている。というバイアスはもう古い。
もしかしたら怒りなどの感情は人間が古来からもっている自動防御機能なのかもしれない
怒りをいだくってことは人間の生存にとって危険な存在を感知したからなのかもしれない。
怒りをただ感情的と捨て置くことは簡単にできるが、
感情にこそ純粋な気持ちが入っていそうなのでなぜその感情をいだくのか
それこそ冷静に考えたいと思いました。
余談ですが
3.そもそも論の人
これは論外だと思いました。
ネットリテラシーが教育にないのにもかかわらず