アンビの実験室

継続することがとことん苦手な人間がなんでもいいので毎日書くことを目的とした人間観察バラエティ,屁理屈

本当にそんな人いる?

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ふとSNSにて疑問に思ったことがある

誰かを傷つけていたりした場合は遠慮なく非難してほしい。

 

考えるきっかけになったのはこのTweet

 

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https://twitter.com/ore825/status/1273149963720175619?s=20

 

この友人と言われた人について思ったことが

「そんな友人、本当にいる?」

という疑問だ。

 

たぶんこの答えに関しての答えはYESで

きっとシチューにご飯をかけるのは気持ちが悪いと「言った」人はおそらく存在するのだろう。

 

だけど、この文面について。

Twitterの性質上、多くの文字を一つのTweetに含めることはできないのでわりと言葉は簡潔に、またそれと同時に「簡素」になりやすいと思う。

 

もう一度疑問をいうと

>友人から気持ち悪いと言われます

これ本当にそんな言い方だったんだろうか。

 

例えば

友達とふざけあいながら、冗談ノリで

 

「お前のシチューの食べ方キモッ!内の実家では見たことない食べ方なんだけど、うまいの?どれ、一口 」

 

仮にこのような会話だったらどうだろうか。

 

>友人から気持ち悪いと言われます

 

この文言から受ける印象がかなり違うように感じる。

 

食べ方ひいてはその人間性について悪意をもって言及する。

という印象よりかは、単純に異文化の人間への興味にとれる。

 

つまりは、まあ、文字っていうのは

少ない字数で伝えようとするほど、余白、解釈を受け手に委ねることになるから、少ない文字数だけで判断しちゃうと生きづらいな。ということです。

 

もしかしたら、そんな悪意を持った人間はいないかもしれないのに、文字でうける印象から、いないはずの人物像が集団によって作り上げられている。

 

いない人間をみんなで非難するなんて、こんな時間の無駄はないし寂しいことはないと思う。

 

どうせなら、本当に存在する人間について話したくない?

 

読む文字が少なくて済むTwitterや、週刊誌のまとめ、OP,EDがとばせるアニメ。

 

そういった「不便」がどんどんなくなっているこの時流で

不便がなくなることで、失くなっているのは本当に「不便」だけなのか?

 

不便がなくなって使える時間が多くなっているはずなのに、

その時間の使い道がネガティヴなものってなんとも切ないと思う。

 

もちろん、逆も然りなので、実際に検証してみないとわからない。だけど、何年か生きてきて、SNS上で語られているほどひどい人間にはあったことないから、肌感覚としては、「みんな言い過ぎ。誇張しすぎ」だと思う。

 

自分の生きている環境が恵まれていたのかもしれない

とは思うけど、本当?