アンビの実験室

継続することがとことん苦手な人間がなんでもいいので毎日書くことを目的とした人間観察バラエティ,屁理屈

スポーツのやりがい

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夏の甲子園の中止が発表された。

 

テレビ画面では球児たちがやるせない気持ちで涙を流していた。

どこに悔しさや怒りをぶつけたら良いかわからないと思う。

 

そんな様子を見ていて思ったことがあります。

野球とかサッカーとか人気スポーツは本当に難しいと思う。

 

相手がいないと成立しないから。

自分が試合をしたくても相手がいないとできない。

活躍の場だって相手がいないとできない。

 

地元のチームが他県やた地方の試合をする時に、

野球やその競技だけの勝敗であるはずなのに、まるでそのスポーツに地元の威信全てをかけているかのように、相手がいるスポーツだから盛り上がっているという面はあるから仕方ないけど。

 

試合やゲームができない。

という辛さにはやっぱり、相手に勝ったり負けたりしないと自分たちがやってきたことの

血反吐はいて練習したことの成果が目視できない。体感できないところにもあると思う。

 

相手に勝つか負けるか。それに全ての青春をかけていたのに、勝つか負けるかわからない状態で引退をしなければいけない。

 

毎日、退屈な雑魚モンスターとの地道な戦闘を繰り返しレベルげをし、ボスを倒すこともなくボスに出会うこともなくゲームは終わってしまう。

まだこういうゲームの方が数で何レベル上がったかがわかるのでマシだろう。

 

僕はずっと陸上競技をやっていたので、いまいちこの他者との試合で勝つ負ける。

このために努力をする。という意識が薄い。

 

陸上はもちろん、国体にでれば自分の県を代表して戦うし、インターハイであれば自分の学校を代表して戦う。

 

でも陸上は跳躍であれば何mとでるし、走りであれば何秒とでる。

 

なので、結局大きくは過去の自分と競争をしていることになる。

過去に自分に勝てるかどうかに全てをかけている。

 

もちろん簡単にはいかないけれど

インターハイや甲子園が無くなったいま、他者と競うことで過去との成長差分をみる他に

成長差分を感じることができる何らかの方法が必要なのだろう。

 

その方法がわからないので、なんの提案もできないんだけど。