巣に帰る本能が
今日はたまたま実家にいたので、学生時代にしていたように父親の書斎を漁っていた。
進学や就職のために上京、実家は東京以外のどこかである。
東京から近からず遠からずといったなんの変哲も無い田舎町が実家。
僕は本のジャンルで言うとホラーやオカルト、都市伝説が好きなのだがこれは書斎巡りにおいて背の小さかった自分でも手に届く範囲にあった本がそういったジャンルだったからだと思う。
もし、手に届く範囲内に医学書が置いてあったとしたら医者になっていたのだろうか...
いやそれはないな。だって怪談師になっていないし。
今の自分であれば書斎の本棚のどの高さにも手に届くので、小さい頃から気になっていた分厚いデカイ本に挑戦しようと思った。
結論から言うとそれはアルバムであった。
たぶん3歳くらいの自分が記録された写真がまとめてあった。
写真に映った3歳の自分はいつも微妙な表情をしていた。
笑っているのか?それは。
いまでも写真に取られると微妙な表情しかできないのだが、これは性格がねじ曲がったせいだと思っていた。違かった。先天的なものであった。
ただし、満面の笑みであったときもままあった。
その多くが、実家の長野ではなく、東京、上野公園での表情であった。
それでふと思ったことがある。
僕は好きというか大切な人ができるとすぐに上野に連れて行きたがる。
東京の自分の家からは30分くらいかかるしアクセスはそれほどよくないのに。。
何も用がないのに大切な人と上野公園を歩いたり、焼肉を食べたりする。
なんとなく上野が好きだ。
もし3歳の時に刷り込まれた記憶であったなら一体何を刷り込まれたのだ3歳の自分よ。
君の持ち物や表情からわかることはウルトラマンティガが好きということだけだぞ。
何が決定的に上野に20年たっても惹かれる因子なのですか?