好きな本について
僕には好きな本がある。
これはその本に向けてのラブレターと言ってもいいかもしれない。
ただ、僕はこの本をまだ最後まで読んでいない。
最初僕はこの本に出会った時、すぐには中身を読み進めなかった。
パステルカラーで描かれた抽象的な表紙はちゃんと理解しようと思っても何が描かれているのかは分からなかった。どうしても何かに例えるとするのであれば、ベタな表現ではあるけど、長野県は戸隠神社の奥社に続く並木道っぽい。もっと葉は生い茂っているけど。
でもこれはいたって感覚的な話なのだが、たぶん僕の明るい未来を描いた絵なのだろうと思った。表紙の絵は見るたびに表情を変えた。だんだんと暖かい色に色づきつつ、時には青々とした色になった。
背表紙に書いてあるあらすじにはストーリーに関することは何も書いていなかった。
ただ自分に似たバックグラウンドの登場人物と正体不明の謎の女の子が登場するらしいことはわかった。どんな内容の本なのかも書いていなかった。
だけど、本の作者はとても見知った人物で、その人物が書く物語はだいたい予想がつく。
だから僕はこの本の内容がすごく気になりつつも本棚に大切にしまっていた。
なぜこの本を手にとって開いたのかは詳しい記憶は曖昧だ。
むしろ曖昧にしておきたいのかもしれない。はっきり開いた瞬間,時間を物語のスタートと決めつけたくないのかもしれない。
僕はこの本の物語にすっかり引き込まれていた。
想像がつくと言っていた物語の内容も正直1ページ先も予想ができない。
自分がいまこの本をどこまで読み進められているのかもよく分からない。
だけど間違いたく言えるのはこの本を読んでいる時の、1ページ、1段落、1行、1文、1文節、1語どれをとってもいちいち読み返したくなるくらいには生命力で満ち溢れている。
生命力はちょっと概念的なので、もっというとこの一つ一つに生きる理由や目的を見いだすことができる。
特にこれといってドラマチックな展開があるわけでは今の所ない。
だけれど、何気ない会話シーンや場面描写が僕にとってはとても気持ちがいい。
ずっと聞いていられる環境音楽のようだ。
この本がどう展開していくのかは全く不明だが、これからも読み進めようとは思う。
もちろんこの本がなければ生きられないという事ではないかもしれないけど、どうせ生きるならば、この本が擦り切れても、カバーが取れてむき出しになっても、丸めてポケットに入れておこうとは思う。どうせ生きるなら。せっかく生きるならね。
どんな完結を迎えるのだろうか。。
完結する頃にはもう死んでいるかもしれないけど楽しみだ。